大阪名物「たこ焼き」の発祥って?

本日は番外編タコヤキの発祥についてまとめてみました!



昭和初期、地方から「東洋一の工業地帯」「東洋のマンチェスター」大阪に工場労働者が集まってきた頃、「ちょぼ焼」「ラジオ焼」という食べ物の屋台がたくさん出ていました。

それは水で溶いた小麦粉を、丸くて小さいくぼみが並んだ型に流して、刻んだコンニャク・ネギ・天かす・紅しょうが等を入れて型どおり長方形に焼き、醤油をつけて(あるいは醤油も入れて焼き)食べるものでした。

屋台によっては「ラジオ焼」という名前でも売られており、球形の場合もありました。

特においしいわけでもなく、どちらかというと子供向けでした。


1933(昭和8)年、福島県から大阪に出てきた遠藤留吉夫妻が「ラジオ焼」の屋台を始め、その後、醤油で味付けした牛肉を小さく切って入れて売り出したところ大人の客が増えてきました。


1935(昭和10)年10月、その一人から「蛸を入れる」というヒントをもらって、肉の替わりに小さく切った蛸をいれ、醤油風味のだしで味付けをしました。

1936(昭和11)年から、赤いのれんに白く「たこ焼」と染め抜いて売り出し、疎開するまで屋台でたこ焼を売ったそうです。


戦後、遠藤氏は大阪市天下茶屋(現在の西成区)に「会津屋」の店舗を開いて、いよいよ本格的に「たこ焼」を売るようになりました。

もともとのたこ焼は「醤油味」で、現在も「たこ焼きの元祖 本家会津屋」としてそれを主軸商品に据え、また2005(平成17)年には70年ぶりに「ラヂオ焼」を復活させました。


球形の「ラジオ焼」に、1935(昭和10)年10月遠藤留吉氏が「蛸」を入れて「たこ焼」を完成させた、というのが定説となっているようです。



▷ラジオ焼

たこやきの原型は、戦前大阪市内の屋台で売られていたラジオ焼きといわれます。これは小麦粉を水で溶いて、鋳型に流しこんで焼きあげた団子のことです。



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